スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

擬似トラックバックに自戒をこめて

西遊戯におもいっきりつられました。
こんばんは幻Aです。

後輩のブログに祖母ネタがあったので便乗。

はじめにW君へ
僕が祖母にもっている後悔を繰り返してほしくないと思い、この記事を書き上げましたが、書き終わると大変おしつけがましいものになってしまいました。しかも勝手な憶測まで入ってしまいました。ですが昔の僕を見てるようで書かずにはいられませんでした。コメントではなくトラックバック風にしたのもその理由です。もし気に障ったら本当にごめんなさい。


僕にも祖母がいた。というか僕自身がおばあちゃん子だった。僕がうまれたときには祖父母は母方のばーちゃん、通称バーバしかいなかったため、自然とそうなったし、バーバも僕をそれはそれはかわいがってくれた。

バーバは日本人のもつ理想のおばあちゃん像を体現したような人だった。外見にも老醜はみられず、むしろ、今になって思うとアガサ・クリスティーの生み出した老名探偵ミス・マープル、あるいはアガサ・クリスティー本人のような雰囲気をたたえた、銀髪の美しい、笑顔のやさしい人だった。相撲とガーデニングが趣味だった。
そして老人特有の気難しさもない、整然と話ができる人だった。

僕が反抗期になって、サルのようにあばれて手がつけられなかったのは、僕が高校受験を控えた中3だった。そのこととは関係なしに(いや、ひょっとしたら僕が原因だったのかもしれないが)バーバの病気も悪くなり、家族もバーバ本人もいよいよかとおぼろげながら覚悟し始めたであろう頃、バーバがだんだん気難しいというか、感情的になってきた。本当に病気(膠原病)が苦しくて死にたい、死にたい、といっていたこともあった。それまでとは想像もつかないほど、本当に典型的な気難しい、いじけた老人になってしまっていた。
あるときは僕がただ単に感情的になって、叱りにきたバーバをどなりつけたこともあった。
あるときは本当に僕は悪くなくて、バーバの勘違いから怒られることがあり、口論になった。
あるときはどっちもどっちのようなことで喧嘩にもなった。
いちばんひどかったのは道徳とか作法とかっていうことじゃなしに、単純に僕の趣味や見てるテレビに口をだしてきたことだった。本当に悪い意味で「くだらない、くだらない」と東北弁でしょっちゅういっていた。サルだった僕はそれにたいして相当攻撃的な言葉で返していた。「うるさい、僕の勝手でしょう?」
原因がなんであるにせよ、そういうときに、僕がバーバに対してひどい言葉を吐いたことは共通している。それが毎日、日常茶飯事ではなかったのが唯一の救いか。

バーバが死んだのは僕がT葛に入るのを見届けた、高1の6月23日のことだった。
バーバが病院で亡くなったと聞いたときには驚きはしたが、悲しくはなかった。病院で冷たくなったバーバを見たときも「え?人間てこんなあっさり死んじゃうわけ?」と唐突感を感じていた。バーバの実家でお通夜とお葬式をすることになり、弟とお別れの言葉を作文用紙に書いてるときも、格別どうという感情はなかった。事実泊り込んでいた会館の近くにあったブックマーケットで横溝の昔の文庫本シリーズを見つけて喜んでいた。

本当に悲しくてぼろぼろ泣いたのは、そのお別れの言葉を読み上げるときだった。ああ、これを読み上げたら本当にお別れになっちゃうんだな、もう会えないんだな、しゃべれないんだな、甘えられないんだな、と思って、それまでの人生でありえないくらい、涙を流した。1周忌の後、バーバと親戚が楽しくしゃべっているところを撮影したビデオを、親戚にもらった。別に僕に対してのメッセージがあったわけではなく、ただの元気だったころのバーバが映っていただけだった。だがそれをみてどうしようもなく悲しく、そしてなんだか悔しいような気がして、またボロ泣きした。

今自分のことを客観的に見れるようになって悔やまれるのは、感情的な理由からバーバに対して攻撃的に接していたことだ。
よくドラマなんかでは、不良息子が親と分かり合えずに、しょっちゅう喧嘩していたくせに、その親が死んだとたん「親父~~!!」とか叫んだりして、その後毎日お茶とお線香あげてます、お墓参りもちゃんとしてます、なんてお涙頂戴なパターンがよくあるが、あれってなんの意味もないと思う。
信ずるべき神も宗教もない僕には、バーバのお仏壇にお線香をあげたって、なにかバーバのためになるだなんて到底思えない。ましてバーバがずっと僕を見守ってくれてるとか、そもそも死後の魂なんてものが本気で存在するとすら思っていない。
こんなことをいうとたいていの人は非難するが、そういう人にとっても宗教をまともに信仰しているものなのだろうか?
毎週日曜はミサ行ってますとか、般若心経毎日暗唱してますとかっていうなら別だけど、今の多くの日本人にとって宗教なんて、葬式仏教、クリスマスや結婚式のキリスト教、年始の神道くらいの価値しかないはずだ。それくらいの薄っぺらい宗教感で、もう逝ってしまった人に生前してあげられなかったことを、種々の宗教儀式で埋め合わせてるなんて思ってるのはあまりにも浅はかだと思う。だから僕にはバーバに対して優しくできなかったことは、もう絶対に取り返せない後悔として重く残っている。これは僕が今後どんなに立派に生きたってどうしようもない。

僕が人生で最も強く影響を受けた映画の中に「死を意識しないと人間は変われない」というものがあった。そのセリフとW君の記事と、生前のバーバを思い出して、老人が口うるさくなる理由の一部がわかった気がする。僕のバーバも君のおばあちゃんも、自分が死ぬということをまもなく起こることとして自覚したときに、残る世代の人たちに、生きていくうえで大切なものは何なのか、そこまで大げさなことじゃないにしても、孫にどう育って欲しいのか、どんな大人になってほしいのか、ということを必死で伝えたかった、伝えたいんだと思う。(もちろん、たんなる鬱からでてくるものもあるだろうけれど・・・)

自分が死ぬことを前にしたバーバにとっては、僕の探偵小説などのさまざまな趣味は、生きていくうえでなんの価値もないものに映ったんだと思う。ましてやTVショーなんかは本当に無意味に感じたんだろう。
W君のおばあちゃんが細かいことで口うるさくなるのも、もうすでに祖母を亡くしてしまった僕にはうなずけるところもある。本当に孫娘がかわいいから、(おばあちゃんの目から見れば)ズボラな性格で大人になってほしくない、でも家族がそれをしょうがないものとして無視してる、じゃあ私が注意するしかないじゃない、という心境なのだと思う。

W君のおばあちゃんが言った
「あんたなんかにぜったいわからない」
という言葉が、なんだか他人ながらひどく僕の印象に残っている。これは先のセリフと合わせて真実だと思う。
僕らが死ぬことを自覚しながら毎日を生きるなんてことはめったにない。だから理解しようとしたってわかるはずもない。

だからおばあちゃんのお小言もスルーせずに、ウザがらずにしっかり受け止めてください。もしかしたら本当に大切なことなのかもしれません。さみしいんだね、病気が苦しいんだね、なんて即断しないでください。
なんか僕が口うるさい感じになってしまいましたが、それが、バーバが生きている間に、僕がするべきことだったと、今は思うんです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

ストレス解消!『ゾンビ打2』ブログパーツ
ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド2
プロフィール

幻A少年

Author:幻A少年
幻AブログⅢをお楽しみなる前に必ずこちらの自己紹介をごらんください。

最近のコメント
最近の記事
過去ログ

..

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ゾンビカウンター
ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド2
FC2カウンター
幻A少年のブログリスト
最近のトラックバック
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。